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zoom RSS 課題 日本語の起源

<<   作成日時 : 2008/12/22 17:24   >>

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・<日本語のルーツをタミルに見る> 担当:松尾
<要約>
大野氏は、日本語の起源はタミル語にあるだろうと指摘する。なぜなら、日本語との音節に類似した点があること、似たような発音で同じ意味を持つ単語が500あること、母音・子音が対応しているということ、日本語という言語が持つ、繊細さや、感性が似通っているということが理由に挙げられるからである。また大野氏は、言語学のほかに、民族学や文化人類学や神話学といったものに学術的な証拠を求めようとしている。また、父や母を表す言葉や、地形・土地に関する言葉、穀物を表す言葉、方言における日本語とタミル語の類似点をいくつも挙げ、昔から使われてきた言葉が類似することで歴史的にも信憑性を持たせよう論じている。大野氏は、タミル語はまだ研究段階で、タミル語が日本語の起源だと確定するには、多角的な裏付けを要すると指摘する。ただ確実に日本語の起源を探る糸口をつかめたとまとめている。

<論評>
類似だけでは結論を導き出せない。また、地理的な関係から、いつ・どのように・どうやってタミル語が日本に伝わったのかを考えることで、大野氏の所論に懐疑的な反応をせざるにはいられない。しかし、大野氏はタミル語説が不完全であることも指摘している。“糸口はつかめたので、研究はこれからである”と。500もの類似した単語や、日本語とタミル語の母音と子音の対応などを見つけ出したことで、“日本語はまったくタミル語と関係しない”とは言い切れない状況である。結論を出すには時期尚早である。

著者:大野晋 森浩一 江上波夫 吉田敦彦 佐々木高明
書名:新・日本語考―ルールと周辺 222ページ
著者:大野晋 著
所論:〔日本語のルーツをタミルに見る〕(3〜40ページ)
出版:朝日新聞社 東京
出版年:1981年12月10日 


・<日本語―タミル語起源説批判> 担当:松尾
<要約>
村山氏は、タミル語を日本語の起源と見る大野氏を批判する。大野氏が批判されるべき点がいくつもあると言う。第一に、大野氏の発表は学会で為されるものではなく、週刊朝日や他雑誌での刊行物という形で発表されるということ。また、タミル語学会や国語学会での発表を行わず、そこに出席する“言語のプロ”に、批評してもらうこともせずにいることである。第二に大野氏はタミル語の素人、タミル語を流暢に話せる人ではないということ。第三に大野氏の、日本語とタミル語の比較方法についてである。村上氏は、大野氏がタミル語と類似すると指摘する日本語の、歴史的語意の由来、発音・音節の由来を調べ、大野氏が行う言語比較は荒唐無稽であり作為的で偽造されたものだと指摘する。また、大野氏を、比較言語学のなかに存在する無原則比較主義・非歴史的比較主義の思想の持ち主であるとも指摘している。

<論評>
“日本語とタミル語は似ているから”と発表する大野氏を“言語比較の原則に基づいていなければいくら400や500の例を挙げても意味がない”とばっさり切り捨てる村上氏の所論は、大野氏の“タミル語が起源である”と取り上げた日本語の、単語を分析するにあたって、より歴史的で多角的な観点から批判しているものである。しかし今までの日本語の起源に対する有力な研究が、“言語比較の原則”に基づいているものだとして(そうでなければ批判される)、現代になっても日本語の起源は解明できていないということを考えると、言語比較の原則そのものの土台を懐疑する必要性も出てくる。日本語の起源を探す方法論など存在しない。“大野氏は間違っている”と考えることも出来なくなってきそうである。

著者:村山 七郎 著
書名:日本語―タミル語起源説批判 192ページ
出版:三一書房 東京
出版年:1982年6月30日


・<日本語はどのようにつくられたか> 担当:笹野
<要約>
 安本氏は、二つの言語を比較する上で偶然の一致がありうることを認めた上で確率論や統計学に基づき偶然の一致の程度を超えているかどうかを計算するという「数理言語学」という立場から日本語の起源を探っている。 スペイン語やフランス語などは古代ローマに使われていたラテン語が分裂しできたものでこのラテン語のことを祖語という。このように一つの祖語から多くの言語ができたというものを「系統論」といい日本語もこのようなものであると考えられていた。
 しかし数理言語学の立場からさぐると日本語はこれと違い多くの言語が流れ込み混じり合って成立したとみられるようになった(これを成立論という)。そしてその混じり合った言語は主なものに分けても四つであると述べている。
まず日本語の根源の一つとして日本語、朝鮮語、アイヌ語の祖語のようなもの(ここでは古い極東アジアの言葉「古極東アジア語」としている)があり文法的、音韻的な特徴などの骨格をつくったと考えられる。その後インドネシア・カンボジア語が基礎語彙をもたらし、ビルマ系江南語が目や耳といった身体語や数詞などをもたらして日本語を統一するきっかけを与え、中国語が多くの文化的な語をもたらすなどと徐々に南方の言語が混じり合って日本語が成立したと述べている。

<論評>
 言語について調べていくにあたって数学的な方法を用いて研究をするということは一見関連性がなく疑問であったが、二つの言語についての一致の程度を大量に調べるという地道なものであった。日本が島国であることや朝鮮語などとの語彙や音韻上のかなりの一致などから日本語は一つの祖語からできたものではなく、いくつかの言語が混じり合って成立したというこの「成立論」は正しいものであると思う。ただどの言語がどのような影響をもたらしたかという部分はところどころこじつけのような部分もあり完全に安本氏の述べるとおりだと言えないのも現状である。

著者:安本 美典
書名:日本語はどのようにつくられたか 143ページ
出版:福武書店 東京
出版年:1986年4月10日


・<日本語の起源> 担当:井上
<要約>
日本語学者の大野教授は日本語とタミル語が密接に関係しており、親族関係にあるという仮説を出した。さらにその仮説は有無を言わさぬ幾多の証拠がる。これらの証拠は会議に参加者全員に確信を抱かせるものであった。具体的に日本語とタミル語の間には音韻構造、子音体系、形態構造の一致、さらには双方の文化や伝統行事の類似である。20年間に及ぶ大野教授の研究成果には1、2欠けている部分はあるが、その努力に感謝をするのは当然である。

<論評>
日本語とタミル語の密接な関係についての研究を発表した大野教授に感銘を受けた筆者の論文であるが、確かにこの二つの言語を比較してこれらに何らかの関係があると考えるのは当然であると思う。そして筆者はこの研究を長きにわたり続ける大野教授に敬意を表している、しかし確かに一致している部分も多いが筆者自身いくつかの欠ける部分を見つけているにも関わらずそれに関する記載はなく、闇雲にしてしまう表現がみられた。やはりそれならばかけている部分を今一度洗い直し、さらにタミル語の研究に役立たせていくのが良いではないのかと思う。

著者:S.アゲスティアリンガム
誌名:日本語の起源
号数:610
頁:14-16
出版年:2000


・<日本人を科学する> 担当:井上
<要約>
日本語の起源において北方アジアやアルタイ諸語、チュルク語族、ツングース語族の系統であると考える北方説と南方アジア諸国語に系統を求めえる、大野氏のタミル語の起源と考える南方説がある。日本語の源流を探る手がかりは奈良の上代語と呼ばれる語であり、それを近隣の言語と比較する。すると日本語の基本文法はツングースであり、語彙はオーストロネシア語族という世界最大の語族が混ざり合って日本語の原型ができている。このように語彙だけを従来の言語のまま文法だけ新しい言語のものを取り入れた言語をピジン諸語といい日本語もそこに含まれる。かつて日本語は独自に発展を遂げた孤立した言語ととらえる学説もあったが、今回の孤立した言語ももちろん仮説である。だがそれを割り引いても南方と北方とがダイナミックに重なり合ってひとつの言語が出来上がったという考えは日本人の成り立ちを考える上で重要である。

<論評>
今まで日本語というのは一つの言語が変わった形と考えが妥当とされていた中で、文法はツングース語族、語彙はオーストロネシア語族と南と北の言語が衝突して日本語が完成したという考えはかなり重要な考えではないかと思う。もしこの仮説が本当ならば、方言が東と西にわかれていることも、どちらの言語の発音の名残が強いかで説明することが可能になるのではないのか。いずれにせよこのように従来の考えにとらわれず全く新しい考えを生み出すことはどの分野の学問においても重要であり、この混合説もいずれ日本語の起源の研究においてもっとも可能性の高い仮説として研究が進められる時が来るのかも知れない。

刊行:毎日新聞社
記事:日本人を科学するー北からと南からとが衝突して日本語が誕生した?!
誌名:サンデー毎日
巻数:76
頁:138-141
出版年:1997

・<日本語の起源> 担当:小林
<要約>
日本語という言語がどの様に発展してきたかには二つの説がある。一つは,日本語は一貫して日本列島の中だけで発展した独自の言語だという「日本語万世統一系説」。二つ目ははるか昔に今は分からないX語という言語が,Y語と日本語に湧かれたという説である。そして言語学者は主にこの二つ目の説を主張し,研究を続けている。大野氏はこの問題に対するにあたり,基本的に言語と文化は密接に結びついていると主張している。その為日本文化が基本的に南方的な要素を持つことから日本語の起源は南インドに住むタミル人が使用しているタミル語にあるのではと考えた。
タミル語は,単語の音韻の対応,文法構造,助詞・助動詞の対応などが日本語と非常に似通っているのである。又,言葉の構造の対応とは別に,日本語とタミル語のあいだにはその対応語があらわすモノや行為が,南インドの巨石文化(B・C1000〜B.C300)と日本の弥生文化(B.C?00〜300)という限定された時代ではあるが,共通するものが文明上の証拠として多く残っている。例をあげると,稲作に関するモノ(「稲」,「田んぼ」,「粥」など),墓と墓地に関するもの(「穴」,「墓」,「忌み」など)。これらは,弥生時代に始めて日本の文明に現れたものである。そして,言語がもつ概念にも日本語とタミル語のあいだに共通するものがある。そしてこの精神的対応語はヨーロッパや中国語にはほとんど認められない。これらのことから大野氏は日本語に最も近い言葉はタミル語だという立場をとっている。
とはいえ,この2つの言語にもいくつか相違点がある。この違いがなぜ生じるかというのは,日本に非常に古い基層言語の上にタミル語が重なったからではと大野氏は言う。日本でいう縄文時代の終末期に,南インドのタミル語と共にあった文明が入ってきた。そして,その文明を受け入れるにあたって文明の基礎であった当時のタミル語を聞き入れ使用し始めたのである。単語のあるところには,必ずそれに対するモノやコトがある。南インドの文明が日本列島に到来し,展開し始めたとき,それらを表す言語も日本化されて広まった。これが日本語の誕生,又日本の文明の誕生であるというのである。

<論評>
確かに日本語とタミル語とのあいだには共通部分が顕著に見られる。こんなにも遠く離れた2つの地域の言葉に似通うものがあるとは驚きである。しかし,日本には中国の文化を受け入れている部分もあり,タミル語だけが日本語の基だというのは,私も疑問があるし,大野氏もそのことは著書の中で述べている。しかしこの共通語の多さは否定できないし,何らかの関係が南インドと日本のあいだにあることは明らかである。私はこれは言語学的な考えだけではなく,考古学的な考え方とも照らし合わせて,結論を出してゆくべきだと思う。

著者:大野晋
書名:日本語の起源 271P
出版:岩波書店 東京
出版年:1944年6月20日


・<日本語はどこからきたか>担当:石川
<要約>
日本語の起源というものは、最初は北方アジア言語とのつながりが深いという説が多かった。例えば、日本語と朝鮮語とが同じ系統に属するという学説を主張する学者は多い。人称代名詞や指示代名詞等、文法に多くの共通点があるという。また、1908年に藤岡勝二氏が「ウラル・アルタイ諸語」に共通するとも発表したが、一方で新村出氏は「朝鮮語や、ウラル・アルタイ諸語とも、語彙や文法において偶然の一致と思われるもので、共通性を言い切ることも、否定することも誤りである」とし、「日本語は非常に古い時代に「日本語」「朝鮮語」「ウラル・アルタイ諸語」の共通言語から分かれたものに南方言語とも接触し、影響を受けてきたもの」としている。同様に1957年に大野晋氏が「日本語の起源」で「北方系説だけでは説明不可能だった点は、南方語を考え合わせることによって解決できる可能性ができた」と発表している。しかし、依然として北方か南方かどちらが日本の系統かという議論は続いている。また日本語は実にオリエントとの言葉との共通点が多いという。エジプトやメソポタミヤの神話には日本語の原点となった神々の名はいくつも登場するというのだ。津田氏は、「世界の言語は連鎖しているので、すべてを否定することなく、
遠いオリエントであろうが、近方の朝鮮であろうが、すべて日本語のベースになった。」と述べている。
<論評>
確かにひとつの方面の言語だけに島国である日本が影響を受けたとは考えづらい。日本語の一種と考えられる言語が使われている地域は、日本の周りには存在していないというが、文法の中の基本的な部分に、いくつかの単語の中にはぞれぞれ対応する共通点があるのだからやはりいくつかの地域の言語に影響を受け、またその地域に影響を与えていたはずである。また北方と南方であったら北方の言語の影響力の方が強いというだけで、どちらかを否定するような考えを持つことは少々強行すぎるのではないか。よって私も大野氏や新村氏、また著者である津田氏の意見に同意である。

「日本語はどこからきたか」352ページ
著者 津田元一郎
発行者 渡辺陸久
発行所 人文書院
初版発行年 2001年8月30日


<結論>
結局のところ、ひとつのルーツからは絞りきれないということではないか。島国であるだけに種々様々な言語が入ってきたと思われる。その中に、タミル語や、ウラン・アルタイ諸語、朝鮮語など、ほかにもが混ざり合っていまの日本語の基本的なところを作ったとは考えられると私は思う。確かにその言語の与えた影響の大きさの違いはあるけれど、日本語のルーツの研究成果がばらばらであることは、日本語は多元複合語であることを物語っている以外には考えづらい。日本語の起源というものは結論を出しづらい。しかし、膨大な時間と距離をかけてゆっくりと形成されていったこのかけがえのない日本語に敬意を感じる。私たちが感じきれないような大きなスケールの中で日本語はゆっくりと肉付けをされていったのだと思う。

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